plug
by kotanimasafumi
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
リンク
my web site >
twitter >
bookshelf >
カテゴリ
せいかつ
しごと
けんちく
でざいん
めでぃあ
たび
ふぉと
つぶやき
おしらせ
いろいろ
以前の記事
2023年 01月
2022年 12月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
検索
記事ランキング
画像一覧
桜散る、親父逝く
桜が芽吹くころに、
入院中の父との面会が叶い、また会える日を楽しみにしていた自分に、
突然の別れが訪れました。
亡くなってから数日後、
今日ような冷たい雨が降る日に父を見送りました。
父を送る車窓からは、
春の訪れを告げる桜が雨の中でとても綺麗に咲き初めていました。
桜を眺めながら、これまでのことを何度となく頭の中で思い巡らせては、元気だった頃の親父の顔が浮かんできました。
76歳で逝った父にふと思います。
「親父は、どんな人生を送ってきたんだろなあ」と。
若い時の父のことを、
これまで…そう、あまり自分のことを話さない親父だったので。
親父は、
今を力強く生きた、そう…強くたくましく生きていたと自分はそう思っています。
桜は今、
先日の花散らしの風ですっかり葉桜になってしまいました。
親父も桜のように、綺麗にたくさん咲いて、
花散らしの風に舞う花びらと、
ともに向こうへと旅立って逝きました。
遺影には柔らかな表情の親父がいます。
親父、ありがとう。
花散らしの風に舞う桜の花びらに、心の中で手をあわせ親父を想います。
季節の変わり目に、多くの旅立つ人を見送りながらも、また季節は巡っていく。
親父にいつか向こうで会うその日がきたら、
自分も強く一生懸命生きた証をお土産にたくさん語り合いたいと思っています。
桜散る、親父逝く_e0149941_13414566.jpg

# by kotanimasafumi | 2022-03-24 13:36 | つぶやき | Comments(0)
備忘録
●好奇心:
(楽しいこと新しいことを見つけてすぐに取り組む)
●向上心:
(今やってることをもっと知りたいと、予習や復習を自分からして学ぶ)
●偶然を楽しもう
(どんなことがあっても、偶然を楽しむ気持ちを持とう)

# by kotanimasafumi | 2022-03-15 13:56 | つぶやき | Comments(0)
教えてあげたい、答えたいいう気持ち
子どもには◯◯をしなさいと言うより、そのやり方を教えてと言う方が実行してくれると聞いたことがあります。
その心は人は人に教えるのが好きだからと言います。
大人になっても人は何かを学ぶ時、独学という形以外に講習やワークショップのようなところで1対nの形で学ぶことがあります。
そんなとき1の側からnに「これ知ってますか?」という質問が投げかけられる時があります。
知らない時、人は当たり前だけど答えられないので静かにしています。
しかしそれについて知っている時、身体の奥の方からすごい力で「知っている」と答えたい気持ちがわき上がってくるのを感じる時があります。
別に知っているのだから止める必要はないが、
一旦そういう気持ちがすごい力でわき上がっていることには気付きたいなぁと思いました。
でないと知っています、知ってるぜ、知ってる知ってると言ってばかりの人になりそうな気がしたし、
nの講師はもちろん知ってて聞いてくれているからです。
知らないふりはいらないけれど、
知っているを常に口に出すのかは、
その手前の教えたい、
言いたいところで一回自覚できた方が、気持ちよく過ごせる気がしました。
じぶんも
そして、周りも

# by kotanimasafumi | 2022-02-22 13:55 | つぶやき | Comments(0)
2022
2022_e0149941_15264754.jpg
謹賀新年 | 至誠

何事も誠実に取り組んでいるだろうか。
何事も真摯に向き合えているだろうか。

「至誠通天」とは、誠を貫けば天にも通じるということです。
つまり、誠実に取り組んで努力すれば、必ず願いは叶うという吉田松陰の言葉です。

「至誠一貫」とは、最初から最後まで、誠意を持って貫き通しなさいという意味の孟子の言葉です。

「至誠」とは、誠を貫くということです。
仕事はもちろんですが、家庭においても勉強においても、
最後まで真面目に取り組むという心構えが必要です。
いい加減な気持ちで取り組めば、
失敗するのみならず、
一緒に取り組んでいる周りの人からも信頼されず、
単に時間を無駄に過ごすだけになってしまいます。

やるからには一生懸命に最後まで真面目に取り組むということ。
「過去」の意識を超えて、「現在」のことを考え、「未来」を見据えながら
誠を尽くして行動し、人の心を動かす年にしたいと思います。

今年もリアルなお付き合いを、心よりお願い致します。
令和壬寅

# by kotanimasafumi | 2022-01-01 14:50 | つぶやき | Comments(0)
枠組みについて
モジュールやパターンの反復には何故か一昔前の事のような感じでしょうか。
それは同じことの反復が大量生産や工場や伝統といったワードと結びつくと勝手に思い込んでいるからかもしれません。
現代でもモジュールやパターンの反復は至る所にあります。
しかし一昔前とは違い、反復される枠組みだけで、その中身には多様性があるのではないかと考えています。
一昔前は全てが反復され、反復されること自体に意味があり目的でした。
それは情報伝達の速度が遅く鈍かったので反復の強度のみが唯一確かなものだったからで、
現代のように一瞬で情報が広まる状況では反復に意味はなく、
反復しているとその分他のものを伝えることができなくなります。
ただ、情報伝達の枠組みだけは使い回され反復されます。
その枠組みだけが唯一確かなものとして、
中身はどうでもよく、
好き勝手な多様性が乱舞し、
それに一喜一憂する人達がたくさんいます。
だから、枠組みをつくる側にいたいと思うのです。

# by kotanimasafumi | 2021-12-08 14:50 | つぶやき | Comments(0)