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歩行禅

夜に散歩へ出かける話。


取り組んでいることが行き詰まったり、考えが煮詰まったりした際、「なんとなく出歩く」ことで、脳は散らかった頭の中を整理するらしい。日本では古くから「歩行禅」と呼ばれているのだそう。


自分の住む地域は広島市内から車で20分程度の郊外団地だけど、田んぼもあったり、緑地や公園がいくつもある。

山々に囲まれ、市街地の雑踏から離れたい時の憩いの場探しには事欠かない。

「自然の中」というには人工物が目につきすぎるが、静かな場所を求めるには十分だ。

物思いにふける時や、頭をからっぽにしたい時など、「ここではないどこか」に行きたい気分になると、ささやかな自由を求めて散歩に出かける。

ただし、昼間に出かけることは滅多になく、白み始める前の早朝だ。
そんなどこかナイーブな趣味を、かれこれ2年は続けている。

日課というほどコンスタントではなく、あくまで「なんとなく」出かける。

リフレッシュにおいて、ささやかな自由をいかに自然体をもって得られるかが私にとっては大切なのである。

早朝でも、犬の散歩している人もいればウォーキングを嗜む人もいるし、思い思いのスタイルで歩く。


とはいえ、その散歩はお気楽な動機からくるものではなく、大抵の場合が自分がいっぱいいっぱいの時だ。

若輩ながらあれこれと複合的な思案が絶えない境遇にあるせいか、特定の場所に居心地を求められない心境を常に抱えている。

なので、そんな風にどこへともなく赴くままに出歩くことが、気分を落ち着かせる方法になっている。

誰に話して良いものかわからないこと、そもそも話すべきか、話さないでいるべきかもわからないこと、言葉にした途端に蒸発してしまいそうな微妙なニュアンスを帯びたこと。
「なんでも話せる間柄」なる人物がいたとしても、ついぞ口にすることはないそれらを連れて、益体のない時間をただ過ごす。

それらに気を向けるうえで日中は外的刺激が多過ぎるため、身体からごく狭い範囲に注意が向くようになる朝、その時間が呼んでくる暁の中、外に出る。

もうそろそろいい加減にと思いながら、意識の真ん中で未だに居座る事柄を思案する毎日。

本当、こんな繰り返しがいつまで続くんだろうと途方に暮れては、同じくこんな事をいつまで続けるんだろうと思いながら朝を歩く。

きっとそれが今の自分を自分たらしめている事柄とイコールの関係でもあるから、その状況から脱せない限りは常に考えざるを得ないという事もわかっている。

ぐちゃぐちゃで、噛み合う事も、交わることもない要素で満ちた事柄を持て余しているという事は、自分自身を持て余しているという事と同義である。

今でこそそんな状況なのに、この先このような事柄がもっと増えていくのかと思うと辟易してしまう。増えるばかりか、今抱えている事はこの先一生をかけて肥大化していくことが明らかなのだ。

普段は考え方次第とも気の持ち様とも、自己暗示の方向を強引に変えて余所行きの日常を過ごしているが、いざ個人の時間を過ごすと、嫌になる程それらが降りかかってくる。もっとも自由に使えるはずの無用の時間が、自分にとってはもっとも苦痛なのだ。

だから自分は、自分の時間を、自分を塗り潰すようにまだ薄暗い道を歩く。うっすらと見える道に、まるで自分が消え入るかのような感覚を求めて。

誰もおらず、誰の目にも触れず、誰を気にかけずとも良い空間に、自分という意識が溶けていくその感覚が唯一の安らぎだ。それが、自分が存在すること自体に覚える堪え難い苦痛を和らげられる唯一の方法なのだ。


自分であることを自覚した上で安らいだことなど何一つない。喜怒哀楽でさえそうだ。自分が消え入るかのような感覚を抱く時、ただ無に近づく時にしか自分の安らぎはない。ささやかな自由とはそのことだ。

ああ。歩きに行こうかな。


by kotanimasafumi | 2019-03-07 05:15 | つぶやき | Comments(0)