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カテゴリ:つぶやき( 118 )
定義すること

ある現象を観察してそこにある共通性を発見し、定義を自分の中に作り出す。人の思考はその積み重ねで成り立つ。
赤ん坊を観察するとそれがよく分かる。
これは何をするもの、これはあれと同じ、これはもしかしたらあれかも。

大人になると意識しないかもしれないが、自分の中の定義は日々更新されている。例えば、自分がある人を好きだ、というのも定義だ。そう定義することで自分の欲求を説明できる。いつしか定義と現象が乖離するようになれば、定義を書き換える(私はあの人をもう好きではない)。
また、定義は他者と共有することを求められる。ルール、マナー、道徳、宗教、社会、法律。定義は拡張される。

定義を共有することによるメリットは大きく、人類はそれによりここまで発達した。
そのうちに、定義を勝手に作ったり書き換えると、社会に良くないことを学ぶ(これも定義だ)。

しかし本来、定義は自分が生きるために、赤ん坊の例のように、積極的に自ら作り出すものだ。

定義を作り出す。現象に合わなければすぐに書き直す。
これはクリエーションだ。

定義を共有することも意味がある。
また、自分なりの定義を次々と生み出し、更新していくことも、人が生きるために必要なことだ。

クリエーションとはそういうことではないだろうか。


by kotanimasafumi | 2019-02-08 22:54 | つぶやき | Comments(0)
-己に克ちて礼に復るを仁となす -
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平成最後の年。

まだ挑戦権を得たに過ぎない。いまだ何かを成し遂げたわけではない。
道半ば、ここで満足してしまうわけにはいかない。まだまだやらなければならないことはたくさん残っているはずだ。
勝負はここからが本番である。他者にはもちろんのこと、まずは自分自身に負けないこと。
そのためにも克己心を持ってより自分を高めていこう。
そうすればきっと素晴らしい結果が待っているはずである。
常に自問自答をしてみよう…「今日の自分を超えることができただろうか?」と。

礼を失っては"失礼"

ましてや無くしてしまっては"無礼"な態度だということ。

さらには形だけの例は"虚礼"ということ。


即ち私利私欲に打ち勝ち、我儘を貫く事なく、自分勝手な振る舞いをしない。
社会の規範である礼に準じて行動することが仁である。

自分の身勝手を行わないように、心では自分というものを引き締め、この克己復礼で仁を行うことができたら、この己の身勝手に打ち勝って自分が礼を実践し得るようにすることは、結局、自分の力によってできる事であって、他人の力に俟ってできるものではない。
すべて、人の身に具わった心の働きによるもので、いわゆる「我仁を欲すれば、斯に仁」が行えるのであると。
思いやりは目に見えない。それを目に見せる方法こそが、挨拶やお辞儀といった「礼」。
そう、仁は「こころ」であり、礼は「かたち」。

現代は物質が豊かになり、眼に見える楽しみがいっぱいあることは良いことだが、
眼に見えない人を大切にする行動、
お墓参りしたり、仏壇や神棚に物飯をささげる行為は、
具体的生活に見える利便性や合理性は無いが「礼」の実践に違いない。

この挑戦権を与えてくれた方々に感謝。


by kotanimasafumi | 2019-01-04 16:35 | つぶやき | Comments(0)
インプットとアウトプット

入り口 と 出口


input と output とも言いますが、
"情報を仕入れて、知識として定着させるためには、

話す。書く。発信する。など外に向けて話してみると

アレ、ここどうやったっけ。。という情報の抜け、
アーそうだったんか。。 と理解の抜けの補完。

ができるようになる。なので、間違っていてもどんどん
アウトプットして情報を知識として定着させましょう。”


ということですが、
インプットが良いとアウトプットの精度、質も向上する。

という当たり前のことを再認識することが最近多い。です。

良いも悪いも。


今までの常識を再度仕入れ直すことも含めて、
良質インプット、新しい情報にブラッシュアップする事しか

新しい、強いアウトプットはない。


…と思います。


by kotanimasafumi | 2018-12-16 11:35 | つぶやき | Comments(0)
「要求される仕事の期待値」

知人に何人かの建築家がいて、それぞれタイプは違うが天文学的に尊敬している。

建築家のクリエイションが特殊なのは「感覚と同時に実務が伴う」という点かもしれない。

そこだけは自分的には到底想像できない。

ミュージシャンやダンサーのように肉体一つで勝負するカッコよさとは違う凄さ。

力学的に正しく、予算と工期と法規を守り、その上でいいデザインを完成させる。


別の側面から言えば建築は数億、数百億かかるってこともある。

ポイントはそれだけの予算をかける仕事を誰に頼むか、には決定的な根拠が必要だってこと。

ここはどんな仕事にも共通していて、ギャラが10万円の仕事を10年やっていてもキャリアにはならない。

10年頑張ったから能力が上がったかというと上がっていない。

「要求される仕事の期待値」が変わってないからだ。

それより、100万円の仕事を5回した方がいいかもしれない。

相手が会社の経費としてそれだけ払う価値があるかを、目を皿のようにして見ている。

その中で仕事をしていれば能力は上がると思う。


by kotanimasafumi | 2018-10-18 05:26 | つぶやき | Comments(0)
これは思い出す作業


子供が川を眺めて、あそこだけ動きが違うね、という。

たしかに違う。

目の前に同じ風景を見ているが気づくポイントが違う。

あの下に石でもあるのかな?って見えない世界の先を少し想像している。すごくあたり前だけど大人が絶対的にできなくなる所作の1つだ。

歳を重ねるにつれて僕らは世界のありようや、法則を覚えていく。捉えきれないほどの情報をこのルールで予想し脳への負荷を軽量化する。生きることを楽にするために人間に備わった機能だ。

今日も何度もアイデアのスタディを繰り返す。
これは思い出す作業だと。
かつて子供の頃に当たり前にやっていた所作を思い出す。

1つ大人の当たり前が決壊すればあとは容易だ。
その最初の一撃が打ち込めるかどうか。
たったそれだけの話。
あと少し。

頑張ろう。


by kotanimasafumi | 2018-09-02 20:25 | つぶやき | Comments(0)
感覚することの想像力

南方熊楠という日本の思想史の中でも異彩を放った人がいます。

生涯を通して粘菌を研究したのですが、その思想はその植物学、微生物学に留まらず、民俗学、哲学までも、というか、もはやそういったカテゴリーを拒絶するぐらいの壮絶なる思考を生み出しました。
その熊楠の思想の中に、「事の学」というものがあります。

「心」と「物」が交わるところに「事」が生まれ、この世界のあらゆるものが「事」として現象する。

そして彼は、この「事」の本質に対する洞察が学問に欠けていると考えました。
彼はその「事」の例として、建築をあげています。


建築家は、建物のイメージやアイデアを心にえがき、それを図面化し、模型をつくり、それを元にして職人さんの手によって建物が造られます。

つまり、設計図や模型、そして職人さんとのコミュニケーションが「心」と「物」を結ぶ「事」なのです。
それだけでなく、建築にはもう一つの「事」が生まれると僕は考えています。

それは、完成した後の建物とそこに訪れたり、住んだりする人の感情・行為との間に生まれる「事」です。

この二重の「事」をどのようなかたちで生み出すか、それが建築という行為だと思います。


by kotanimasafumi | 2018-08-25 06:39 | つぶやき | Comments(0)
無力さの自覚

あの時、Twitterのタイムラインで救助要請のツイートを見ていた。

西日本豪雨によって自宅が浸水し、避難できずに取り残されている人の言葉だ。

「早く助けてください」

心が痛んだ。

その方のプロフィールと、豪雨前のツイートを読む。

たぶん、自分よりずっと若い女性だ。

今はご家族と自宅の2階にいて、2階も浸水しはじめている。

早く、一刻も早く、安全なところへ行って安心したいだろう。このままじゃ死んでしまうかもしれない、という恐怖に震えているかもしれない。

助かってほしい。Twitterの画面の見つめ、念じる。

だけど、自分にはどうにもできない。

リツイートしようとしたとき、その救助要請ツイートに対して他の方が「この方は無事に救助されたそうです」と引用リツイートしているのを見つけた。


良かった。


いや、その方にとっては、災害に遭わないほうが良かったに違いない。

でも、救助されないよりは、救助されて良かった。

すべての人が、無事に救助されたらいい。暖かいところで、安心して眠れたらいい。

そう願うだけで、自分は何もできない。


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災害が起こるたびに、自分の無力さを実感する。


誰かを救いたいとか、誰かの役に立ちたいと思ったとき、まずは自分の無力さに自覚的であることが必要だとも思う。

無力だからと諦めるのではなく、無力さを思い知ったうえで、自分にできる最善を考えること。


「救いたい」という気持ちを否定したいわけではない。

「救えるはず」という思い込みが、おこがましいと思ってしまう。


自分の善意が、必ずしも相手にとって救いになるとは限らない。

自分の気持ちと相手の気持ちは、まったく別のものだからだ。

妻や両親が自分のためを思ってしてくれたことに対して、「気持ちはありがたいけど、まぁ、ぶっちゃけ嬉しくはないな」と思ったことは、たくさんある。

逆も然り。


自分が善意でやったことが、相手にとっては「たいして嬉しくない」ことかもしれない。


それは、どうにもできない。だからこそ、せめてそのことを自覚していたいと思う。

自分の無力さを自覚せず、自分にできる「救済」が相手にとっても「救済」になると思い込むと、例のスラム街観光で炎上した大学生みたいになる。


「自分の知らない世界を見てみたい」という欲求そのものは、否定しない。知的好奇心は誰にでもあるものだし、他人が否定するべきではないと思う。

ただ、それはあくまでも「自分の欲求」だ。


「貧困の子供たち」や「日本のジャーナリズム」への貢献には、残念ながらなり得ないだろう。彼らが企画した程度のこと(現地の子どもとの交流、映像作品の制作)では、他者や社会に貢献できないと思う。

彼らは、自らの無力を自覚したことがないのだろうか?


自分の無力さを自覚するのは、決してネガティブなことではないと思う。

無力なりにできることは0ではないし、自覚しているからこそ「善意を押しつけない」ことに注意深くいられるかもしれない。



by kotanimasafumi | 2018-07-14 09:26 | つぶやき | Comments(0)
記録的豪雨
これまでにない経験のような豪雨が広い範囲を襲った。
西日本を中心に、土砂災害や河川の氾濫が相次ぎ、
多くの犠牲者が出ており、刻一刻とその状況は危機的状況へと変化していく。
住宅のほか鉄道や道路などインフラも甚大な被害を受け、不明者の捜索を急ぐとともに、これ以上被害が出ないように警戒を強める必要がある。

6日以降、広島県をはじめとして岡山、鳥取、福岡、京都などの11府県に大雨特別警報が発令。
「重大な危機が差し迫った異常事態」と、気象庁が強く警戒を訴えた通り、記録的な降雨量に見舞われた。

--
□平成30年7月8日 気象速報 広島地方気象台
https://www.jma-net.go.jp/hiroshima/siryo/20180709_sokuhou.pdf

7月3日0時~8日12時までの総降水量は、呉市蒲刈517.5mm、三原市本郷490.5mmを観測。
7月5~7日の72時間雨量を見ても広島県内広く400mmを超えている。
場所によっては600mmに迫り、観測史上最大の雨量を記録したと所も多くそれは広島県内だけに限らず岡山や愛媛をはじめ瀬戸内周辺の地域に広く分布。
5日未明から本降りの雨が降り続け、台風によってすでに先行雨量で200mm近い大雨となり地盤がすでの相当緩んでいたところに
6日夕方と7日早朝の2度、非常に激しい雨のピークが襲うという例年にない状況。
6日夕方から7日朝までの半日ほどで350mmを超える記録的な雨量。
--

夜明けとともに各地の甚大な被害状況が伝えられ、言葉を失った。
4年前の2014年8月の広島土砂災害と異なり、局所的ではなく広範囲に強い雨が降り続くという…まさか。
あちこちの駅が冠水し、線路が流され、道路が泥水色に変わり、家々がなぎ倒され、車が流され、どこが川でどこが道路で普段の水位はどのくらいか全く分からない状況が戦々恐々とニュースに流れる。
あちこちが陥没、土砂崩れなどで通行止めが続く。
e0149941_05381324.jpg
e0149941_05384333.jpg
--
□中国地方の国道の通行止め区間 / 国道事務所
http://www.cgr.mlit.go.jp/mkisha/cgi-bin/kisha.exe
□中国地方の高速道路の通行止め区間 / NEXCO西日本
http://www.w-nexco.co.jp/
htt://ihighway.jp/web/
--

多くの被害者が出ており、交通網が寸断され、停電や断水などインフラを断たれた地域もあり、生活がままらない中で、まずは身辺の状況把握と的確な判断が欠かせない。
危険を感じたら避難すべきだが、動くとかえって危険な場合は、とどまって建物の上の階にいるなど、冷静な行動をとる必要がある。
被災地では警察や消防など自衛隊が4万8千人態勢で捜索や救助活動に当たっているという。
期待したいが二次被害に十分気を付けて活動してもらいたい。
3年前、国土交通省は明らかに雨の降り方が変化していることを「新たなステージ」と捉え、
防災の在り方を示した。
広島土砂災害を引き起こした線状降水帯による集中豪雨をはじめ、雨の局地化・激甚化が全国で顕著によるもの。
「命を守る行動を」という呼びかけが、九州などで災害が発生するたびに叫ばれるのを耳にしてきた。
他人事ではなく、防災の心構えと万が一の際の行動をいま一度、胸に刻む必要がある。
被害を食い止め、復旧を急ぐことは大事だが、同時に地域を点検し直すことも必要。
防災士をはじめ、地域の防災リーダーを育成し、実際に動ける体制を構築し、災害に強いまちづくりを願う。

□土砂災害ポータブルひろしま
http://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/top.aspx
□広島県土砂災害危険情報
http://www.d-keikai.pref.hiroshima.lg.jp/public/Top.aspx
□広島県防災WEB
http://www.bousai.pref.hiroshima.jp/

by kotanimasafumi | 2018-07-08 04:24 | つぶやき | Comments(0)
七夕

今日は七夕。


七夕には願い事をしよう。

簡単で良いから。


自分は年がら年中、願い事してるけどw

願う事は叶う事。

逆に言えば、願わないと叶わない。


--

ELLEGARDEN「Make A Wish」(一部抜粋)

…Let's make a wish
Easy one
That you are not the only one
And someone's there next to you
holding your hand…

--


簡単で良いから、願い事をしようゼ。

いつもそばにいる人が幸せでありますように。

ご飯いっぱい食べれますように。

もう雨が降りませんように。

もう地震も来ませんように。

安心して眠れますように。

美味しい、かつ丼が食べれますように。

もっと広い部屋に住めますように。

お金たくさん稼げますように。

などなど…


全部、勝手な自分の願い事ですけど、

一個じゃなくて良いんだと…

なんでも良いと思う。

なんでも良いから。

願い事をしよう。


--

ELLEGARDEN「Make A Wish」(一部抜粋)

…Make a wish
You'll be fine
Nothing's gonna let you down
Someone's there next to you holding you
Along the paths you walk…

--


願い事って、一種の元気玉みたいなもんだと思うんです。
それが誰かに届いて、その誰かのやる気と元気になって、その元気がまた誰かの元気になって、願い事になって繋がっていく。
そして今度は自分が誰かの願いを叶える番になって、いつか自分に帰ってくる気がして。

僕は年がら年中願い事してるんです。

そうなったら、楽しいから。

誰かの願い事を自分が叶えられたら、楽しそうだ。



豪雨の七夕。

星は見えなくても、夜空を見上げて見てください。
どこかで、誰かが、同じ様に、同じ夜空を、見上げてるから。

“皆んなの、願い事が一つでも多く叶えられますように”




by kotanimasafumi | 2018-07-07 05:26 | つぶやき | Comments(0)
なんとなく

なんとなく好きな雰囲気の家。
なんとなく住みやすそう。


今日ご相談に伺った際に話してくれた「なんとなく」はとても正直でとても嬉しいことばでした。

シラスの左官壁とシナ材の優しい肌触り。
その素材感がやさしい空間を作ってくれています。
こういうやさしい雰囲気がなんとなく好き、そういう表現でも充分。


逆になんとなくモヤモヤする、というのも大事。


家づくりをする上で、嫌な気持ちに蓋をすると、生活を始めてからその蓋は開いてしまいます。

なんとなく、を読み取りそれを図面化、言語化、視覚化するのが建築家である自分の仕事。
それを暮らしの中から読み取るのもとても面白いものなのです。


by kotanimasafumi | 2018-06-10 06:45 | つぶやき | Comments(0)