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心が見えない人の言葉は響かない。
心は物質じゃないからもともと見えないんだけど、それでも見えたように感じる言葉を綴れる人はいる。 それができないと、売るための言葉で売上や数字でマウント取り続けて注目を集め続けないといけないから、消耗すればとって代わられる。 プロの物書きであるはずのそういう人はあまり心に響かないものが結構ある。 むしろ素人たる主婦の人のnoteの方がグッと来たりする。 この違いは何なんだろうか? 先日、Youtubeでお菓子の動画を見て、買うお菓子を選んでいる少年が「TVCMの芸能人は演技できちゃうから、本当においしいのかわからない。だから参考にしない。」と言っていた話を聞いた。 広告の世界がプロの演技で虚構を演出しているのがバレてしまい、プロの演技より素人の本音の方が信用されるようになりつつあるんだろう。 文章もその波が来ている気がする。 売れるための技術としての言葉と、心を動かすはだかの言葉は別物なのかもしれない。両方使える人もいれば、片方しか使えない人もいるという事だろう。もちろん、両方使えるプロもいる。 信頼の図式 本音を出せるプロ > 素人の本音 > プロの演技 人間が生まれる瞬間はもちろん裸一貫だ。 言葉だって同じで、最初は本心どころか単語すら言えない。「あー」とか「うー」などの喃語と呼ばれる稚拙な表現の確認から始まる。 幼児は表現の引き出しが少ない分、言いたいことをうまく言えなくて突然キレたりする。 文章を売って暮らす人々はそこからたくさん練習をして、たくさん失敗もして、外に見せる商品としての文章を作れるようになるんだろう。 そうしていつしか売れる言葉を綴ることに慣れすぎてしまい、心を動かすような素のはだかの言葉を出す筋肉が衰えちゃっているのかもしれない。 言葉は物質ではない概念だから、言葉が見えることはない。こうして見えている文字も、共通のルールを知っている同士だけしか通じない一種の暗号だ。 でも、その暗号にも何か気持ちが形になったかのような感覚を受ける時がある。 あなたは言葉に温度を感じたことはないだろうか? あったかい、つめたい、ぬるい、寒い、熱い・・・ヒリヒリするような焦燥感には火傷にも似た熱さを、ゾッとするような恐ろしさには氷にも似たゾクッとする冷たさを感じる。 温度感だけじゃない。売上や数字でみずからの欲望を丸出しにして煽る姿には、まるでその人のグロテスクな欲望を露出されたような気持ちになる。 言うなれば、欲望の露出狂だ。 こうした売上マウンティングなどは、一種の煽り文句であることが多い。要するに自分はこれだけ売れているのだから、あなたも私をフォローしてありがたく言うことを聞けば売れるかもよ?というヤツだ。 実際は養分として財布の中身を吸い取られるだけのことが多く、本当に為になることはあまり書かれていない。いかに気分良く射幸心を煽ってお金を巻き上げるかのゲームな訳で、パチンコなどのギャンブルの仕組みと似ている。 別にこれらもビジネスだろうし否定はしない。 ただ、自分はもうそういうグロテスクな欲望をモザイクなしで見せられるのはちょっとしんどい。 逆に、こうしたビジネス演技ではなく、建前抜きの本音や本心に触れるとハッとする。そこに嘘がないことに安心もする。 聞きかじった知識じゃなくて実際に試してきたものを失敗談も含めて聞かせて欲しい。 たった1人にでも言葉が届いて心を揺らせたなら、それだけで1万ビューより良い結果なんじゃないかと自分は思う。
by kotanimasafumi
| 2019-06-22 10:48
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