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無力さの自覚

あの時、Twitterのタイムラインで救助要請のツイートを見ていた。

西日本豪雨によって自宅が浸水し、避難できずに取り残されている人の言葉だ。

「早く助けてください」

心が痛んだ。

その方のプロフィールと、豪雨前のツイートを読む。

たぶん、自分よりずっと若い女性だ。

今はご家族と自宅の2階にいて、2階も浸水しはじめている。

早く、一刻も早く、安全なところへ行って安心したいだろう。このままじゃ死んでしまうかもしれない、という恐怖に震えているかもしれない。

助かってほしい。Twitterの画面の見つめ、念じる。

だけど、自分にはどうにもできない。

リツイートしようとしたとき、その救助要請ツイートに対して他の方が「この方は無事に救助されたそうです」と引用リツイートしているのを見つけた。


良かった。


いや、その方にとっては、災害に遭わないほうが良かったに違いない。

でも、救助されないよりは、救助されて良かった。

すべての人が、無事に救助されたらいい。暖かいところで、安心して眠れたらいい。

そう願うだけで、自分は何もできない。


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災害が起こるたびに、自分の無力さを実感する。


誰かを救いたいとか、誰かの役に立ちたいと思ったとき、まずは自分の無力さに自覚的であることが必要だとも思う。

無力だからと諦めるのではなく、無力さを思い知ったうえで、自分にできる最善を考えること。


「救いたい」という気持ちを否定したいわけではない。

「救えるはず」という思い込みが、おこがましいと思ってしまう。


自分の善意が、必ずしも相手にとって救いになるとは限らない。

自分の気持ちと相手の気持ちは、まったく別のものだからだ。

妻や両親が自分のためを思ってしてくれたことに対して、「気持ちはありがたいけど、まぁ、ぶっちゃけ嬉しくはないな」と思ったことは、たくさんある。

逆も然り。


自分が善意でやったことが、相手にとっては「たいして嬉しくない」ことかもしれない。


それは、どうにもできない。だからこそ、せめてそのことを自覚していたいと思う。

自分の無力さを自覚せず、自分にできる「救済」が相手にとっても「救済」になると思い込むと、例のスラム街観光で炎上した大学生みたいになる。


「自分の知らない世界を見てみたい」という欲求そのものは、否定しない。知的好奇心は誰にでもあるものだし、他人が否定するべきではないと思う。

ただ、それはあくまでも「自分の欲求」だ。


「貧困の子供たち」や「日本のジャーナリズム」への貢献には、残念ながらなり得ないだろう。彼らが企画した程度のこと(現地の子どもとの交流、映像作品の制作)では、他者や社会に貢献できないと思う。

彼らは、自らの無力を自覚したことがないのだろうか?


自分の無力さを自覚するのは、決してネガティブなことではないと思う。

無力なりにできることは0ではないし、自覚しているからこそ「善意を押しつけない」ことに注意深くいられるかもしれない。



by kotanimasafumi | 2018-07-14 09:26 | つぶやき | Comments(0)
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