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"記憶の解凍"

"記憶の解凍 -カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ-"展に行ってきました。


色は記憶の中に生きるヒロシマが、
白黒の遠い昔のようでそうではないアノときの生きる人々のリアルな生活がそこにあったことを教えてくれる…。


街のにぎわいや駆け回る子供の歓声、家族の絆は想像するしかないけれど、
その写真の静けさが一瞬のうちに失われたものの大きさを物語る…。


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# by kotanimasafumi | 2018-11-30 05:33 | たび | Comments(0)
紅葉

紅葉には、こうよう と おうよう がある話。

紅葉というと、赤に色づく葉っぱを一般的には指しますが、
黄色に色づく 『おうよう黄葉』があります。

広島では中心部の平和大通りが 銀杏が黄色に色づき道路が
黄色に染まる紅葉が名物ですが、

この、黄色、赤色に色づく葉っぱは、緑からいきなりそれぞれの色に移行するだけでなく、緑→黄→赤 と変色するものもあります。


ステップとしては、

1、緑;クロロフィルが分解され

2、黄;カロチノイドが分解され

3、赤;アントシアニンの合成

という順で進みます。


この中で、1と3 1と2 1、2、3と進むもの。

という分類で別れます。

そして、一番大切なのは、温度差。そして光

秋晴れで、日中光が十分あり、気温も上がったその夜

放射冷却で、気温が下がる。 温度差が大きい。

これが、鮮やかな色が出る要素です。


なので、山の紅葉は美しい。 ということですね。

今年もまた美事に紅葉してくれました。

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# by kotanimasafumi | 2018-11-28 15:03 | たび | Comments(0)
「要求される仕事の期待値」

知人に何人かの建築家がいて、それぞれタイプは違うが天文学的に尊敬している。

建築家のクリエイションが特殊なのは「感覚と同時に実務が伴う」という点かもしれない。

そこだけは自分的には到底想像できない。

ミュージシャンやダンサーのように肉体一つで勝負するカッコよさとは違う凄さ。

力学的に正しく、予算と工期と法規を守り、その上でいいデザインを完成させる。


別の側面から言えば建築は数億、数百億かかるってこともある。

ポイントはそれだけの予算をかける仕事を誰に頼むか、には決定的な根拠が必要だってこと。

ここはどんな仕事にも共通していて、ギャラが10万円の仕事を10年やっていてもキャリアにはならない。

10年頑張ったから能力が上がったかというと上がっていない。

「要求される仕事の期待値」が変わってないからだ。

それより、100万円の仕事を5回した方がいいかもしれない。

相手が会社の経費としてそれだけ払う価値があるかを、目を皿のようにして見ている。

その中で仕事をしていれば能力は上がると思う。


# by kotanimasafumi | 2018-10-18 05:26 | つぶやき | Comments(0)
はつかいち花火大会
豪雨災害の影響により夏の風物詩はあちこちで中止になる中、廿日市の夜空に情熱の咲彩が打ち上るw

2尺玉3発を含む7000発は圧巻のド迫力!!!
やっぱり日本の花火は世界に誇れると思った花火…w

この空に舞い散る「祈り」…
美しい初秋のひと時に感謝w
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# by kotanimasafumi | 2018-09-16 11:02 | たび | Comments(0)
僕は君じゃないから君のやりたいことなんて僕もわからない

大抵の欲しいものごとは遅れてやってくる。
というか僕らは喉が渇いたらコンビニに行き、お金を払ってジュースを買う。欲しいものはすぐ手に入る。でも、世の中の特に人生に関わる多くのものが、お金では買えず、今欲しいといって手に入るものではない。

例えば、お金が欲しいなってなったら、すぐお金が降ってくるなんてことはないのを僕らは知ってる。楽しいこと起きないかなといって、その場で面白いことが起きることもない。欲しいものにはプロセスがあって、結果に至るのが世の常で、今僕らが生きる世界は物欲であればお金があれば交換可能な状態に少し慣れすぎているのかもしれない。

チェスや将棋と同じで人生においても、わかりやすく経営や家計簿においても、先を見据えた一手を打つ必要がある。無数のステップの小さい一歩だが、見えない未来に向けて可能な限り想像を働かせた一手を打たなければいけない。それがどうにも最近悩みを相談してくる人たちは、そういう思考があまりないことが多い。

「やりたいことがわからない」というのと「やり方がわからない」では雲泥の差だ。

圧倒的に前者が多い。

それはうっすら自分にありそうなやりたいことをすでに実現している人に投影して様々なリスクをその人に被せているようなもので、個人的には好きではない。ついつい辛辣な意見を伝えてしまう。それは君の願いを人に背負わせようとしてるだけだよって言ってしまう。

やり方がわからない!は凄い好きだ。やりたいことがあるが何をどうしていいかわからない。それであれば君のやりたいことに少し力を添えてあげたいなと思うし、その人が想像する未来にコミットできる喜びがある。

すぐに欲しいものは手にはいる思考が、結果やりたいことがわからない病を煩わせている気がしている。それは逆にいうと手に入るものだけで世界を構成してしまっていて、寂しい世界でもある。

自分のことや自分の欲求と向き合わずに「やりたいこと」がわかるわけもなく、まずは空っぽで何もない自分と向き合うことから始めないといけない。そして少しずつ湧き上がる欲しいものが、お店でもどこでも買えないものであることに気づくと、人はやっと行動に移れる。お店で手に入るものなんて一時的な欲求を満たすものだけだ。どう手に入れてもいいのかわからないものを渇望する思いと、そこにどう至るかのプロセスが人生の醍醐味でもある。

やりたいことがわからないという相談には、僕は君じゃないから君のやりたいことなんて僕もわからないって返すようにしている。それは君の人生で、これは僕の人生だ。欲しいものややりたいことは全然違う。喉から手が出るほど欲しい人生の何かは外にはなく、常に君の中にしかないことを覚えておいて欲しい。

人生は楽しく、辛い時もあるが、総じて素晴らしいものだ。
そんな暗い顔して未来のことを語らずにワクワクしながらわからなさを議論しよう。

楽しんだ奴が必ず勝つと僕は信じている。


# by kotanimasafumi | 2018-09-02 20:29 | Comments(0)
これは思い出す作業


子供が川を眺めて、あそこだけ動きが違うね、という。

たしかに違う。

目の前に同じ風景を見ているが気づくポイントが違う。

あの下に石でもあるのかな?って見えない世界の先を少し想像している。すごくあたり前だけど大人が絶対的にできなくなる所作の1つだ。

歳を重ねるにつれて僕らは世界のありようや、法則を覚えていく。捉えきれないほどの情報をこのルールで予想し脳への負荷を軽量化する。生きることを楽にするために人間に備わった機能だ。

今日も何度もアイデアのスタディを繰り返す。
これは思い出す作業だと。
かつて子供の頃に当たり前にやっていた所作を思い出す。

1つ大人の当たり前が決壊すればあとは容易だ。
その最初の一撃が打ち込めるかどうか。
たったそれだけの話。
あと少し。

頑張ろう。


# by kotanimasafumi | 2018-09-02 20:25 | つぶやき | Comments(0)
感覚することの想像力

南方熊楠という日本の思想史の中でも異彩を放った人がいます。

生涯を通して粘菌を研究したのですが、その思想はその植物学、微生物学に留まらず、民俗学、哲学までも、というか、もはやそういったカテゴリーを拒絶するぐらいの壮絶なる思考を生み出しました。
その熊楠の思想の中に、「事の学」というものがあります。

「心」と「物」が交わるところに「事」が生まれ、この世界のあらゆるものが「事」として現象する。

そして彼は、この「事」の本質に対する洞察が学問に欠けていると考えました。
彼はその「事」の例として、建築をあげています。


建築家は、建物のイメージやアイデアを心にえがき、それを図面化し、模型をつくり、それを元にして職人さんの手によって建物が造られます。

つまり、設計図や模型、そして職人さんとのコミュニケーションが「心」と「物」を結ぶ「事」なのです。
それだけでなく、建築にはもう一つの「事」が生まれると僕は考えています。

それは、完成した後の建物とそこに訪れたり、住んだりする人の感情・行為との間に生まれる「事」です。

この二重の「事」をどのようなかたちで生み出すか、それが建築という行為だと思います。


# by kotanimasafumi | 2018-08-25 06:39 | つぶやき | Comments(0)
瑞雲

瑞雲w

昔から良いことが起きる前触れの一つと言われ、この現象が現れる事は吉兆だと言われる現象。
この大変な時期に「よく頑張っているね!」「そのままで大丈夫」というメッセージか…?

どちらにしても、神秘的な風景w

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# by kotanimasafumi | 2018-07-28 10:06 | せいかつ | Comments(0)
斜面崩壊


# by kotanimasafumi | 2018-07-21 10:02 | いろいろ | Comments(0)
無力さの自覚

あの時、Twitterのタイムラインで救助要請のツイートを見ていた。

西日本豪雨によって自宅が浸水し、避難できずに取り残されている人の言葉だ。

「早く助けてください」

心が痛んだ。

その方のプロフィールと、豪雨前のツイートを読む。

たぶん、自分よりずっと若い女性だ。

今はご家族と自宅の2階にいて、2階も浸水しはじめている。

早く、一刻も早く、安全なところへ行って安心したいだろう。このままじゃ死んでしまうかもしれない、という恐怖に震えているかもしれない。

助かってほしい。Twitterの画面の見つめ、念じる。

だけど、自分にはどうにもできない。

リツイートしようとしたとき、その救助要請ツイートに対して他の方が「この方は無事に救助されたそうです」と引用リツイートしているのを見つけた。


良かった。


いや、その方にとっては、災害に遭わないほうが良かったに違いない。

でも、救助されないよりは、救助されて良かった。

すべての人が、無事に救助されたらいい。暖かいところで、安心して眠れたらいい。

そう願うだけで、自分は何もできない。


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災害が起こるたびに、自分の無力さを実感する。


誰かを救いたいとか、誰かの役に立ちたいと思ったとき、まずは自分の無力さに自覚的であることが必要だとも思う。

無力だからと諦めるのではなく、無力さを思い知ったうえで、自分にできる最善を考えること。


「救いたい」という気持ちを否定したいわけではない。

「救えるはず」という思い込みが、おこがましいと思ってしまう。


自分の善意が、必ずしも相手にとって救いになるとは限らない。

自分の気持ちと相手の気持ちは、まったく別のものだからだ。

妻や両親が自分のためを思ってしてくれたことに対して、「気持ちはありがたいけど、まぁ、ぶっちゃけ嬉しくはないな」と思ったことは、たくさんある。

逆も然り。


自分が善意でやったことが、相手にとっては「たいして嬉しくない」ことかもしれない。


それは、どうにもできない。だからこそ、せめてそのことを自覚していたいと思う。

自分の無力さを自覚せず、自分にできる「救済」が相手にとっても「救済」になると思い込むと、例のスラム街観光で炎上した大学生みたいになる。


「自分の知らない世界を見てみたい」という欲求そのものは、否定しない。知的好奇心は誰にでもあるものだし、他人が否定するべきではないと思う。

ただ、それはあくまでも「自分の欲求」だ。


「貧困の子供たち」や「日本のジャーナリズム」への貢献には、残念ながらなり得ないだろう。彼らが企画した程度のこと(現地の子どもとの交流、映像作品の制作)では、他者や社会に貢献できないと思う。

彼らは、自らの無力を自覚したことがないのだろうか?


自分の無力さを自覚するのは、決してネガティブなことではないと思う。

無力なりにできることは0ではないし、自覚しているからこそ「善意を押しつけない」ことに注意深くいられるかもしれない。



# by kotanimasafumi | 2018-07-14 09:26 | つぶやき | Comments(0)