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原寸
原寸_e0149941_16551148.jpg
吉村順三氏の建築は、実物の迫力が凄まじい…。
その理由は、吉村が建築をゲンスンで考えているから。
ゲンスンとは「原寸」です。
「実際の大きさ」、「1分の1の縮尺」ということ。
吉村氏の建築は、膨大な原寸図の上に成り立っています。
原寸図を描くと、モノにリアルに向き合うことになります。
モノにリアルに向き合い、練りに練られた原寸図によって出来上がる実物の迫力はものすごい。
今の時代、原寸大の図面を描く人は本当に少ない。
住宅などの小さな建物だと、まだ描いている人はいるかもしれませんが、
大きな建物になると、よほどこだわりのある設計事務所以外は、原寸図を描くことは皆無になります。
建築家の千葉学氏が日本設計の社員時代に巨大なプロジェクトで
「最初から最後まで1/200以上のスケールの図面を見たことがなかった」
と雑誌インタビューに答えていたのを読んだことがあります。
現代は、それだけ「実物」への執着が希薄になっていると思います。
遠く離れたところからしかモノを見ていません。
鳥の目で空から眺めているだけのような感覚です…。
吉村氏は、その危険性を誰よりも理解していた建築家であるように思います。
鳥の目と同時に虫の目も持ち合わせていると感じています。
とにかく「実物」に徹底的にこだわった。
そのこだわりがよくわかる吉村のシンプルな言葉があります。
「建築の勉強というのは、実物を見なければダメだと思うのですよ。人間の生活に本当に必要なものをつくるわけですからね」
原寸_e0149941_16554170.jpg
吉村氏のこだわりが最もよくあらわれるのは窓まわり。
図面を見ると建具の厚みから木目の方向、ガラスの厚み、建具レールの形にいたるまであらゆる情報が描き込まれています。
原寸図を描くと、いやでも「リアルなモノ」と向き合わざるを得なくなります。
「建具はもっと厚い方がドッシリとしていいのではないか。しかし、あまり厚すぎると重くなって開閉がしづらくなるな。」
「ガラスはこんなに薄かったら、風圧で割れてしまうのではないか。」
「ああこれでは横殴りの雨だと室内に入ってしまうな。」
などなど、ゲンスンはとてもメンドくさいし、ごまかしが一切効きません。
しかし、それを乗り越えた先に「迫力のある実物」があらわれる気がしています。
最近キャンプが流行っているようだが、これからはあえてメンドくさいことをみんなやりたがる時代になるような気がしています。
そんな時代が来たら「ゲンスン」の復権。

# by kotanimasafumi | 2022-05-12 16:58 | つぶやき | Comments(0)
建築意匠論
学生時代に受講した授業についての話。
学生時代に建築意匠論という授業がありました。
プログラム・場所・イメージという概念を基に建築のデザインに対して有名な建築家の作品事例を交えて
個々の作品に対しての解説を与えつつデザインの理論について掘り下げていくという趣旨の授業でした。
自分はあまり優秀な学生ではなかったので近代建築史の授業への理解はもちろん建築意匠論の授業への理解もあまり深く出来なかったですが。
また当時の自分は建築の学術的な授業よりも実際に手を動かしてデザインを形にしていくようなものづくりとしての建築に興味がありました。
ただ授業を受講して近代建築史という背景を基に
有名な建築家の作品事例に対して建築意匠や建築史における位置づけや事例研究により導き出された理論に関する話を聞いていて
難解でしたが内容はとても深く感じられ大学の教授による大学の授業らしい学術的な講義に感じていました。
大学は技術者を育成する教育機関としての色が強く
自分自身も大学卒業後は紆余曲折で波乱ありましたが、
設計者として経歴を重ね学術的な授業により得た考え方も現在は大切だと感じています。
建築意匠論_e0149941_16594503.jpg

# by kotanimasafumi | 2022-04-22 16:38 | つぶやき | Comments(0)
建築「体験」と建築「経験」
絵や写真はどのような経験をもたらすのか。
--
”絵とか、とりわけ彫刻とか、いわんや建築は、実際に見るよりも写真で見たほうが理解しやすい。” 
--
ヴァルター・ベンヤミン:
図説写真小史 / 久保哲司 訳 /
筑摩書房 / p.45 / 1998
・・
過去から現在にいたるまで、
建築は図面・スケッチ・写真・CGなど様々な表現が用いられて情報として拡散されてきました。
建築に関する専門的情報は、
建築を生業とする人や建築学生が主に求めるものとなりがちですが、
近年では芸術やファッション誌のような一般の人々から求めやすい雑誌に建築情報が載ることもあり、
人々は建築に対する距離を縮めていると思います。
情報を伝達するメディとしては、
古くはウィトル・ウィウスの建築十書のような建築理論書があり、
近代では雑誌がその役割を果たしてきました。
『レスプリ・ヌーヴォー』や『デ・ステイル』もその一つです。
現在は雑誌をはじめ、テレビ番組やwebメディア、Youtubeなどの動画配信サービス、さらにはTwitterやInstagramのような我々に身近な媒体から、
建築の情報を得ることが可能になっています。
そして、それは誰でも情報を発信することが可能になっています。
--
建築と違って、美術品、絵商や彫刻は比較的移動可能なものだと思います。
とくに近代以降のものは、待っていればいつか作品は展覧会の巡回とともに自分のいる場所にやって来るかもしれませんが、
建築は基本的には向こうから歩いてはやって来ません。
こちらが足を選んで、その場に行かないと体験できません。
その場所に縛りつけられている、という指命が建築にはあるわけです。
そういう意味では、建築の情報を伝達する場合、図面を本のかたちににまとめて流通させることが昔から行われていました。
--
五十嵐太郎・鈴木理策・ヨコミゾマコト・竹内万里子:
『国立国際美術館35周年記念シンポジウム写真の誘惑──視線の行方 記録集』/
セッション3「写真と建築」/
国立国際美術館 / p.102~103 / 2012.12.25
・・
五十嵐氏が指摘する通り、建築は不動であり、その場所を訪れなければ、建築を「体験」することはできません。
それゆえ、実体験できる建築はごく限られています。
しかし、我々はメディアから建築情報(図面や写真)を得ることで、建築を類推することで、あたかも「経験」したような状態となります。
また、上記の摘のように、近年のメディアの強化やソーシャルネットワークサービス(以下SNS)により、
多くの情報を得ることができるようになっており、発信された情報を通し、
我々が理解することも容易になってきているとも考えられます。
建築情報があらゆるメディアで掲載されており、
自身が「体験」しなくとも情報によって「経験」したような状態になるのが日常と化した現在、
五感を伴って「体験」した建築体験と、情報上で「経験」する建築経験の間に差異が生じていると考えられます。
--
「A:実際の身体の経験による空間の理解」と「B:情報を介した空間の理解」に間に乖離が生じるのは、
情報発信者が「C:他者に伝達するために解釈を施して出力した情報」の内容が、
「実際の身体の経験による空間の理解」の内容と異なることが起因しているという関係が成立していると言える。
--
永瀬 智基:
"建築メディアにみる空間の情報伝達に内在する作法" /
名古屋市立大学学術機関リポジトリ /
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/
2015 / 2022.04.04 アクセス
・・
つまり、「体験」としての建築体験に、情報による「経験」としての建築経験は、
根本の部分である情報によって差異が生まれているという指摘です。
写真は、実に建築と相性が良い情報媒体です。
繰り返しになりますが、建築は不動のものであるため、
初期の写真にとって建築はよい被写体でした。
(初期のカメラは、長時間の露光が必要でしたが…。)
19世紀ごろから、定期刊行物としての建築雑誌が発行されるようになり、
初期は図面ベースでしたが、徐々に建築写真が入ってくるようになっていきます。
日本における最も歴史のある『建築雑誌』は、
1号では図面しか登場しません。
その後、現在と近い形に写真をレイアウトしたものが出てきます。
建築雑誌が数多く存在するのも、建築のジャンルにおける写真の存在意義や重要な媒体であることをよく示しているということでしょうか。
このように、近代から現在にかけて、建築情報の発達に欠かせなかったのが、
写真であり写真の発明から今日までずっと、写真と建築の関係は切っても切り離せないものとなっています。
では、写真は建築の何を映しているのでしょうか。
建築を写真にとるとき、カメラは建築空間を映します。
そして、写真として現像した際、空間は二次元、つまり平面となり、
我々の目の前に現れます。
写真は空間を切り取り、二次元として現れた際、果たしてそれは空間と呼ぶことができるのだろうか。
--
当初、ドイツ語の著述にしか見られなかった用語である「空間」は、
ジーグフリート・ギーディオンが『空間・時間・建築』を1940年に出版したことをもって、英語圏にも広く用法が普及する。
その間、「空間」にまつわる言説は次々と追加され、意味内容は発展を続け、
ついに「空間」は20世紀の建築にまつわる最重要概念の地位を獲得することとなる。
・・・(中略)・・・
「空間」が、20世紀建築の欠かせざる要素として認識されるに至ったのは、「空間」が本質的に、事物の属性を表わさない概念であることによる。
--
門脇耕三:
"反-空間としてのエレメント"
10+1website /
https://www.10plus1.jp/
2015.02 / 2022.03.28 アクセス
・・
ジークフリート・ギーディオンによる空間の発明以後、建築写真は空間をどのように撮影するかに焦点があてられてきました。
しかし、空間とは概念であり、物質的に存在しないものです。
--
建築空間を物質的に説明可能にするために、写真家の鈴木理策は次のように述べています。
空間を撮るとき、被写界深度を深くするというのが一般的です。
被写界深度とは、写真のピントが合っているように見える奥行きのことで、
それが深いと、手前のものも奥のものも焦点が合っているように見える、つまりパンフォーカスの状態になります。
こうして撮ると、すみずみまで見渡せる写真、見るべき場所が非常に多い写真を作れるんですね
--
五十嵐太郎・鈴木理策・ヨコミゾマコト・竹内万里子:
『国立国際美術館35周年記念シンポジウム 写真の誘惑──視線の行方 記録集』/
セッション3「写真と建築」/
国立国際美術館 / p.125 / 2012.12.25
・・
建築空間を写真でおさめるためには、そのための被写体深度を深くし、奥行を生むことで、多くの物質を一枚の写真に写すことが必要であるようです。
この物質が多く写りこんだ状態から、春口は以下のように空間を説明しています。
--
実際には目に見えない空間を説明するためには、さまざまなものを視界にとらえ、
かつそれらの関係性や視覚的要素を詩的に解釈し説明する必要があったのだ。空間はつねに詩的である。
--
春口滉平:
"〈論考〉インスタ映えする建築写真論──空間、ロラン・バルト、表面 "
山をおりる /
https://yamawooriru.tumblr.com/post/174567807457/text3
2018.07.27 / 2022.03.20 アクセス
・・
このように空間は、多くの物事の関係で成り立っており、空間内に散在する多くのエレメントの関係性から空間を説明できます。
写真によって空間を切り取る行為に多くの試行錯誤があり、
様々な物質を映しこむことで建築空間はメディアによって伝達されてきたのです。
--
カメラという装置は、見えているものを記録するだけではなく、
見えてはいても見たことを認識していない世界を私たちに教えてくれています。
・・・(中略)・・・
私たちが確実に体験したにもかかわらず、その体験を認識することができなかったものを捕えているのが写真だとしているのです。
私たちの中には意識的な記憶として残ることはありませんが、一方で記憶の中に、無意識のうちに強烈に残っています。
--
松村由佳・森村泰昌・米田知子:
『国立国際美術館35周年記念シンポジウム 写真の誘惑──視線の行方 記録集』/
セッション1「写真と記憶」/
国立国際美術館 / p.17~18 / 2012.12.25
・・
カメラは風景を切り取りとり、写真として平面に落とし込むことができる装置であり、
意図しない風景が写真として現れることもあります。
実空間に五感を伴って「体験」している一方で、
実空間の中で「体験」しきることができなかった部分が写真として現れ、
写真によって「経験」することができるのかもしれません。
建築に置き換えると、実空間を五感を伴って「体験」する中で、
「体験」仕切れなかった部分を、写真によって「経験」として補完する構図を描くことができます。
多くのエレメントの関係性によって空間が記述可能であるとすれば、
建築写真内の空間の解釈を行いさえすれば、建築「経験」は豊かな経験として成り立つのでは。
--
”絵とか、とりわけ彫刻とか、いわんや建築は、実際に見るよりも写真で見たほうが理解しやすい。” 
--
ヴァルター・ベンヤミン:
図説写真小史 / 久保哲司 訳 /
筑摩書房 / p.45 / 1998
・・
ベンヤミン自身が何をもって建築が写真で見たほうが理解しやすいかを述べてはおらず、不確かですが。
一方で、実空間で五感を伴った建築「体験」によって得た知見は、
写真によって写された建築空間を、周囲のエレメントにより解釈することで生まれる建築「経験」と同等の効果を得ることができるのかもしれません。
一度綿密に解釈することで、一枚の写真から類推する建築は非常に豊かなものとなります。
建築は不動であるため
現地を訪れなければ「体験」することができず、
それ以外はメディアを通じて「経験」するしかありませんでした。
そのなかで、建築の情報伝達に欠かせない存在であったのが写真であり
写真と建築は切っても切り離すことのできない関係となり、
建築写真という一つのジャンルを築き上げることとなりました。
カメラが建築空間を撮影することが、建築写真の一つの主題となり、
空間をどのように撮影するかが問題でした。
そこで、一つの方法として三次元の空間を写真として二次元に落とし込んだ際の写りこんだ物質の連関で空間を解釈することができ、
それによって建築空間は写真上でも再現可能になったのです。
三次元、または時間を伴う四次元での建築「体験」と
二次元平面上である写真による建築「経験」。
これらはどちらが優れているわけではないですが、
実体験としてえる知見と写真に解釈を重ねることで得る知見
両方とも豊かな建築「体験」「経験」を与えてくれることが考えられます。

# by kotanimasafumi | 2022-04-12 16:07 | つぶやき | Comments(0)
桜散る、親父逝く
桜が芽吹くころに、
入院中の父との面会が叶い、また会える日を楽しみにしていた自分に、
突然の別れが訪れました。
亡くなってから数日後、
今日ような冷たい雨が降る日に父を見送りました。
父を送る車窓からは、
春の訪れを告げる桜が雨の中でとても綺麗に咲き初めていました。
桜を眺めながら、これまでのことを何度となく頭の中で思い巡らせては、元気だった頃の親父の顔が浮かんできました。
76歳で逝った父にふと思います。
「親父は、どんな人生を送ってきたんだろなあ」と。
若い時の父のことを、
これまで…そう、あまり自分のことを話さない親父だったので。
親父は、
今を力強く生きた、そう…強くたくましく生きていたと自分はそう思っています。
桜は今、
先日の花散らしの風ですっかり葉桜になってしまいました。
親父も桜のように、綺麗にたくさん咲いて、
花散らしの風に舞う花びらと、
ともに向こうへと旅立って逝きました。
遺影には柔らかな表情の親父がいます。
親父、ありがとう。
花散らしの風に舞う桜の花びらに、心の中で手をあわせ親父を想います。
季節の変わり目に、多くの旅立つ人を見送りながらも、また季節は巡っていく。
親父にいつか向こうで会うその日がきたら、
自分も強く一生懸命生きた証をお土産にたくさん語り合いたいと思っています。
桜散る、親父逝く_e0149941_13414566.jpg

# by kotanimasafumi | 2022-03-24 13:36 | つぶやき | Comments(0)
備忘録
●好奇心:
(楽しいこと新しいことを見つけてすぐに取り組む)
●向上心:
(今やってることをもっと知りたいと、予習や復習を自分からして学ぶ)
●偶然を楽しもう
(どんなことがあっても、偶然を楽しむ気持ちを持とう)

# by kotanimasafumi | 2022-03-15 13:56 | つぶやき | Comments(0)